『パワー・オブ・ザ・ソウルあなたの魂こそがあなたをあなたにする』より引用させていただきます
✰悩みから自由になる…ベストを尽くして結果を忘れる
あなたは生まれつき心配性だと感じることがありますか?
『慢性心配性』という言葉が似合う人がすぐに思い当たりますか?(母親です。常に何かしらを心配してます)
人はよく私に悩み事を話しますが、考えてみると、昔からずっとそうでした。私が子供のときにも、私のことを知っている人も知らない人も、私に心配事や悩みをぶちまけたものですが、今ではそれが私の仕事の守備範囲におさまっています。私自身が絶え間ない不安にさらされてきて、それがどういうことだかわかっているので、心配性の人々に深く共感できるのでした。私はアルコール中毒者の家で育ったので、心配することが私の第ニの習性になったのです。
人はよく私に言います。『ジョン、どうしてあなたが心配するの?あなたは霊能者でしょう?』
霊能力に恵まれていても、私もまた多分に人間です。人々の中には、物事を思い悩めば、予期せぬ出来事から守られたり、備えることができると考えている人もいるようです。(ウチの親は、まさにそうだと思います。心配することで、そうなることを阻止することができると思っているみたいです)
私はそれはいただけないと思います。(私もです)
そんなふうには働かないのです。心配すると自然のリズムが損なわれ、生活のあらゆる領域を与え、あなたが内省したり、心を静めたり、瞑想したり、自分自身や自分の魂と過ごしたり、人生を楽しむために使うべき時間を蝕んでしまいます。(私もそう想います)
心配することは、神、すなわち大いなる源への信頼が欠けていることになります。あなたはその源に由来し、その源とは一体であるのですから、大いなる源がいつもあなたを助けるように働いていることを理解し、信頼してください。
数年前、サイキック(霊能者)とミディアム(霊媒者)に関するテレビのパイロット番組のためにスクリーンテストを受けたときのことを思い出します。私はそのショーのホストを決めるオーディションに選ばれた三人のうちの一人でした。
テレビ業界では、ひとたびプランが進行すると、怒涛のようにすべてが一気に動きますが、それが終わると、たいてい長い待ち時間が続きます。私は待ちに待ちました。そのショーは私にしっくり合っていて、出演したいと思いました。当然ながら私は、出演できるかどうかを心配し始めました。さらに待ち時間が続き、結局、私は、選ばれなかったという電話を受けました。私はがっかりし、心のおしゃべりがやかましくなりました。
なぜ私は選ばれなかったのか?
十分ではなかったのか?
願ってもいないチャンスだったのに…。これからどうしよう?
これは思考過程全体を不安に乗っ取らせないようにする必要があることを思い出すよい機会でした。心配は、心配を生みます。(私もそう想います)
がっかりする知らせを受け取ったあと、賢明な友人が電話をくれて、『どうしてそんなに落ち込んでいるんだい?そうなるはずではなかったということは、君もわかっているだろう。もっといいことがやってくるさ!』と言ってくれました。全くその通りで、しばらくして、私は別のテレビ番組への出演のオファーを受けました。その番組は私のパーソナリティや力量によりふさわしく、そして私はその仕事を得たのです!
もしこの話に教訓があるとしたら、多分これでしょう。私がオーディションを受けた方のショーは、結局、放映されなかったのです!
私は深い興味深い勉強をし、その教訓は私のマントラのひとつになりました。すなわち、私ができることはベストを尽くすだけ。だから結果は忘れようです。この態度を身につければ、より楽しくなっています、心配が減ります。(結果を気にしていたら楽しめませんからね。力が入ってしまいますよね。結果を気にしてしまうのも、楽しめるのもシナリオ通りですよね…)
この章は、自分の心を縛りつけるものから自由になることがテーマであり、私は心配が魂に与える大きな影響について特にページを割いて述べたかったのです。非常に多くの人々が、日々の生活の中でこの心配という感情にとらわれています。(だからこそ、みんな『今』ではなく、先の心配ばかりしているんでしょうね。だからこそ、みんな、『今ここ』ではない、未来の心配
や、過去の失敗などの後悔にとらわれてしまっているんでしょうね。だから余計、失敗しないように、いろんなことを常に頭で考えているんでしょうね。だからこそ、みんな『今ここ』にいないんです。身体はここにあっても、意識が今ここにないんです)
その感情は私たちをがんじがらめにし、ポジティブな方向に進むのを妨げます。それは私たちの創造力を閉ざし、最大の可能性を発揮して魂の力量を高めることを妨げるのです。私たちはその場に足止めされ、一時的に止めておかれるか、あるいはいつまでも抜け出せない場合もあります。
もしあなたが発展的で魂の充足を感じるつもりなら、自分を解き放つというプロセスに、心配をやめることを含めてください。(心配する…っていうのも、シナリオ通りだと想います)
当然ながら、憂慮するのがあたり前のときもあります。身内に重病を患った人がいたり、友達が一身上の危機のさなかにあるようなときには、心配しないわけにはいきません。私が言いたいのは、心配が生活に支障を及ぼし、ストレスを引き起こし、眠りやくつろぎや、人生を思う存分楽しむことを妨げるようになったときのことです。すなわち、心配があなたの魂を息苦しくさせ始めるときのことです。
私たちの多くは、心配していてもそれに気づかないことがあります。それが習慣性というものの特質です。気づくことが不安軽減には大切な要素になります。心配する習慣を意識すればするほど、心配にとりつかれる前に上手に処理する能力を高めることができます。
数々の映像で構成されるテレビのニュースを見るようなことから心配が始まる場合があります。もし、あなたがニュースの影響を受けやすい人であるなら、不安とストレスに満ちた状態に陥りかねません。(多くの人たちの世間話は、ニュースの話題が多かったりしますよね。私はそういったニュースの話題とかの話が全くできないんです。みんな、自分のことじゃないのに、あ〜じゃない、こうじゃない…と常に言ってますよね。あ〜すればいい、こうすればいい…と。前職の時に、よく上司が社員の方たちに、常にみんなとコミュニケーションを取ることを言われていて、ニュースの話をしたり、天気の話をすれば、コミュニケーションは取れる…と言って、ニュースや天気の話題を持ち出すことをすすめていました。私もよく昔、天気の話をすればいんだよ…と言われたことがありますけど、私はアスペルガーなので、雨が降っていれば、『雨が降っている』という事実しか言えないし、雷が鳴っていれば、『雷が鳴っている』とか『雷が落ちた』という事実しか言えないんです。幼い子供と同じなんです。でも、多くの人たちは、それに続く言葉が出てくるみたいですね。『洗濯物が乾かない』とか、いろんなことを付け足すことができるみたいですよね。私は、そういうのができないからこそ、キャッチボールができないんです。会話を終わらせちゃうんです。会話を終了させゃうんですよね。そして、自分のことじゃない話、テレビなどに出てくる芸能人やスポーツ選手がどうのこうの…という話や、野球や相撲などのスポーツを見て、あ〜すればよかったのに、こうすればよかったのに…という世間話をしているのが全く理解できないんです。っていうか、そういう話に参加することができなくて、私はだんまりになってしまうんです)
あなた自身を変えることはできます。自分自身と向かい合うことによって、私たち全員が結びついている世界のポジティブな全体意識を培うことができます。それではここで少し時間を取って、私たちがどんなことを心配しているのか探ってみましょう。
典型的な心配事の例…
・家庭のこと
・経済的なこと
・キャリアのこと(またはキャリアがないこと)
・他人にどう思われるが
・太りすぎや痩せ過ぎについて
・医者や歯医者にいこうがどうか
・高騰する燃料費のこと
・試験のこと
・他人の問題
(私はどこの病院に行くかどうかくらいかな…っていうか、私は、医者行こうかどうかで悩んだことはないかな(笑)。行こうと思ったら行くし…。結果も気にならないしな…。ハラの爆発体験の前に乳がんの検査をしたときも、『乳がんだったら、乳がんだし、乳がんじゃなければ乳がんじゃない』って思っただけだったので、全く不安がなかったから…。以前の私だったら、大騒ぎですけどね、検査する前から『乳がんだったらどうしよう?』って不安でいっぱいになっていたんでしょうが、今の私はそういうのがなくなっちゃったから…。冷めてますよね(笑))
私たちは、そうすること以外知らないがためにくよくよすることがあり、中には心配し過ぎていることを思い悩む人もいます!不安は成長を阻害する精神状態です。この問題を抱えている人を見つけ出すのは簡単です。顔を見ればわかります。眉根に心配性のシワが寄っています。健康にも影響が及ぶことがあります。
私は何年も前にデレクという名の素晴らしい男性に出会ったことがあります。才能豊かで、高い教育を受け、講演者として素晴らしい経歴を誇っていましたが、にも関わらず、成功しようとして訓練してきたそのことに不安を抱えていました。
私は実際に彼を見たことがあります。彼はダイナミックな話し手でしたが、不安が彼をためらわせていました。彼は自分を過小評価し、自分の能力を必要以上に低く見せていたのです。彼がくよくよしながら心の中でこう言うのが聞こえてきそうでした。
私に興味を持ってもらえるだろうか?
私は気にいられるだろうか?
ちゃんとした服装をしているだろうか?
壇上で存在感はあるだろうか?
途中で聴衆に出て行かれたらどうしよう?
ひとつの些細な心配事が十分になり、さらに増えていくのです。それは癌細胞のようなもので、増殖し続けるのです。自己不信が大きくなると次第にそれを信じ始めますが、自信を回復させることができます。
結局、デレクは、励ましを与えてくれるライフコーチを得て、ライフコーチはデレクに自信を喪失させるような思い癖のサイクルを断ち切るように言いました。自分に自信を持てないこれまでの生き方をやめ、この瞬間と将来に待ち受ける素晴らしいチャンスを受け入れるようにデレクに教えたのです。
心配性の人々というのは、うまくいったことより失敗の方をよく覚えているものです。デレクは意識変革を行ったとき、真の意味で人生を変え始めました。もしあなたがデレクの話に共感できるなら、今こそ自分を解き放ち、未来へのあなたの橋に架け始めるときなのです。(やっぱ、共感できる…っていうのは、同じ意識状態ってことですよね。そして、共感できなかったり、理解できなかったり、批判が出てくる…っていうのは、意識状態が違うからこその現れにすぎないですよね。だからこそ、自分の意識状態が凄くわかりやすいですよね。共感できるか、できないかで、その人と同じ意識状態かそうじゃないか…。そして、以前はそうだったけど、今は違う…というのも、そこからステップアップしたからこそ、わかることですよね)
✰忙しくすると、心配が減る(これは、減ったのではなく、忙しくて、そこに意識が行かないだけですよね。でも、一人になったときなどには、そこに意識が行ってしまう…っていうのは、それが無くなったわけでも、減ったわけでもないからですよね。ただ、忙しさで、紛らわしているに過ぎないですよね。一人静かに在ることができれば、それは無くなりますけどね)
心配で身動きがとれなくなったり、息苦しくなったりするのを防ぐ方法はたくさんあります。そのひとつが、忙しくすることです。(でも、それって、それに意識が行かないようにするだけですよね)
予定が詰まっているときには、心配するひまはないものです。(だから、誤魔化しているだけですよね。でも、忘れていられるから、一時的に楽になるのか(笑)。でも、それよりも、自分と向き合い、自分の内側とひとつになることで、心配なんてないことに気づく方が私はいいと想うのですが…。そうすれば、心配する…っていうのは、ただの幻想=妄想=想像=推測に過ぎなかったことに気づけるんじゃないでしょうか。忙しくして、誤魔化すだけでは、一時しのぎにしかならないし、何の助けにもならないと想います。でも、それもシナリオ通りのことが起こっているだけですよね…。それに気づくために…。一時しのぎだということに気づくのも大切なことですからね…)
時間の有り余っている人々が、不安を感じながら過ごしがちです。(だったら、根本からそれを覆すことが大事なんじゃないでしょうか…。表面だけ、無いフリ?をしても、まだそれはあるんです。だからこそ、常に、それから逃げ回っているだけでは、何も変わらないんです。奥深いところとつながり、満たされることが大事なんじゃないでしょうか)
もしあなたが生まれながらに心配性の人であるなら、気がついたら思い悩んでいたというのは、どんなときに一番多いかに注意を払ってみてください。(以前のお客様は、何もしないでボーッとすると、いろんなことを考えちゃう…っていうのは、まさに、ボーッとすることで、それが浮かんできちゃうからこそ、忙しくしていた方がいい…ってことですよね。だったら、ボーッとしながら、考えるんじゃなく、それを観照者としてただ眺めていればいんじゃないでしょうか…。そして、吐く息とともに、それを解き放ち、息を吸うことで、心が満たされることに意識を向けた方がよっぽどいいと想うんですけどね)
あなたの考えを二、三週間、ノートに書きつけ、気がかりを感じる時や場所を特定し、何が不安を引き起こしているのか見てみましょう。
どれぐらい頻繁に心配事が起きるかも書き留めてください。私は携帯用のボイスレコーダーを持ち歩いていて、なかなか便利です。メモを録音するのに使い、後でそれを紙に書き写します。メモ帳を持ち歩くより便利です。(私はブログがメモ帳代わりですけどね(笑)。そして、そのまま、ブログとしてアップしちゃいますから(笑))
ここで覚えておいてほしいことは、あなた問題を避けようとしているのではなく、心のプログラミングの方法をかえようとしているということです。
心配で心が塞ぎ込んでいるときには、そうする変りにできる何かを見つける必要があります。生活に刺激を与え、日課を変えることです。例えば、もし最も憂鬱になる時間のひとつが、仕事を終えて家に帰ったときであることがわかったら、その時間帯に新しいことを始めましょう。(多くの人たちは一人でいることが嫌だからこそ、何かをし始めるんでしょうね。家に帰ってひとりになるのが嫌だからこそ、何かしらをやっているんでしょうね。それが多くの人たちなんでしょうね。だからこそ、ひとりになることや、沈黙や、静寂が怖いんでしょうね。だからこそ、みんないつも忙しぶっているんでしょうね)
夢中になれて、頭を使う何かを見つけるのです。(頭を使っていないと、余分なことを考えちゃうからなんでしょうね。余分なことが浮かんでこないように、常に頭を使っているんですかね…。疲れちゃいません?頭を使わないこと、頭を使わないでリラックスすることが私は大切だと思うのですが…。だからこそ、多くの人たちがしていることと、私がすることは、全く真逆なんでしょうね。私の場合は、常にリラックス状態なので副交感神経が優位になっていますが、多くの人たちは常に動き回っているからこそ、交換神経が常に優位になっているんでしょうね)
前から参加してみたいと思っていた講座やワークショップはありませんか?仕事の役に立つものでも、あるいは仕事と全く懸け離れたものでもかまいません。できるだけ頻繁に家から出て、自然と触れ合うことも大切です。
✰完璧であることが、解決策だとは限らない
気に病む状態に陥るのを防ぐもう一つの方法は、完璧主義者になろうとしないことです。何もかもを完全無欠に行おうとしなくてもよいのです。何もかもをちゃんとできるかどうかを心配するのは一種の思い込みです。私は人間らしくいるために、『完璧主義』を『寛容さ』に置き換えることを学びました。私は昔から芸術的な才能があり、絵画教室に参加するときは、傑作を描こうなどとは考えず、できるだけの力を出して描こうとするだけです。(私は小学生のとき、いろんな賞状をもらいましたが、賞を取ろうと思って何かをやったことは一度もなく、まったく何も考えていませんでした。だからこそ、私は、努力するよりも、頭で何も考えないでやる方が、逆に自分(魂)が出てくるんじゃないかな…って観じています。だからこそ、努力とか、頑張るとかいう言葉も嫌いだし、それを言う人も嫌いでした)
私はそこにいることに満足し、絵を描くひとときをただ楽しむのです。(まさに!それですよね。昨日、羽生結弦選手が『楽しむこと』と言ってましたが、まさにそれですよね。『頑張る』ではなく、楽しむ。『頑張る』という言葉は、『我を張る』ってことなんだそうです)
そのような姿勢を身につけると、心配することは減り、プロセスを楽しめるようになります。(まさに)
私の知人の中に、自分のすることは何でも細部にまでこだわる人がいます。私たちは絶えず彼をからかい、彼のことを『黒丸君』と呼んでいます。というのは、彼からのメールや彼の文書には、必ず黒丸をつけて整頓された箇所があるからです。
美しいフォーマットですべてに一貫性がない限り、彼はメールを送れなかったのです。しかし、ここに深刻な問題があり、それは彼がそのような習慣を生活のあらゆる面にあてはめていたことです。すべての結果を分析し、あらゆる角度から考え、チェックし、再確認しなければ不安になるのです。完全であらねばならないという脅迫的な衝動を抑え付けることができなかったのでしょう。
彼をそのように駆り立てるのは、彼の思考態度です。心配は恐れの延長線上にあり、彼の最大の恐れが制御されていないため、完璧主義が自制を保つ別の方法として取り代わっているのです。
これは、巻き込まれるとやっかいな状況です。自分の評判をあまりにも気にし過ぎると、結局は、言うべきことは何もないというところまで評判が傷つきます。しかし、ここに中道の立場、すなわち『心の平和』が得られる地点があります。また、もしあなたが物事を常に後回しにするような人であれば、このタイプの『完璧主義的』憂慮の徴候かもしれません。あなたは、ダイニングルームの模様替えが終わるまで誰もディナーに招待できないとか、もっと経験を積むまでその新しい仕事を応募すべきでないと言ったり、あるいは何かを翌日に引き伸ばすためにはいくらでも言い訳を考えられるのかもしれません。
後回しにすることは、気に病むことの別のかたちに過ぎません。(私は思い立ったが吉日なので、思ったと同時に行動するか、行動が先だから…。私の場合、『後で』=『やらない』…ってことだから(笑)。だからこそ、よく『後でやってみます』って言う人がいると、=やらない…ってこととして捉えてしまいます(笑)。頭のない人は『後で』って言う間もなく、もうやり始めますからね…。それが、頭がない、思い立ったが吉日の人ですからね…。そして、気が向かないことはしない…。)
これは、動き出す前に物事が完璧であることを確認したい心情に関係しています。事を完璧に行おうとすることが正当である場合もありますが、『行動は、言葉より雄弁である』という古いことわざを優先させねばならないときも多々あります。ときには、ためらうより、腰をあげてやってみなければならないこともあるのです。(でも、これも、起こることが起こっているだけ…。やる…っていうシナリオがないからこそ、言い訳を言ったりするわけですよね。そして、言い訳する…って言うことが起こっているだけに過ぎないですよね。だからこそ、それを今は、やる時期ではない…ってことだからこそ、言い訳…っていうことが起こっているんじゃないでしょうか…。すべてが、ベストタイミングで起こっているわけですからね。だからこそ、物事には、やる時期がある…っていうことです)
理想的な状況になるまで必ずしも待たなくてもよいのです。(でも、それもベストなタイミングがあるんだと想います。だからこそ、今起こっていることこそ、今必要なこと…。それがベストタイミングで起こっているだけ…。批判をするのも、否定するのも、すべて、シナリオ通りのベストタイミングで起こっているだけだと観じています。そして、そこにはいいわるいは存在しません)
そんな状況はやってこないかもしれません。(それはそれで、それがシナリオ通り。その状況がやってこない…っていうのが、シナリオ通りに起こることが起こっただけですよね。それ以外は決して起こらないんです)
『何か』をすることです!『何もしない』より、はるかに良いことです。(多くの人たちがそう思いますよね。だからこそ、多くの人たちは『何かをすること』がいいことであり、『何もしないこと』というのは、よくないことだと思ってしまうからこそ、私がいう『何もしないこと』というのも悪い意味で捉えたり、本当に何もしないこととして捉えているからこそ、『何もしないこと』という言葉を勘違いしている人が多いように観じます。私がいう『何もしないこと』というのは、『頭で』『何もしない』ってことです。まあ、頭で何かをし始めても、それに没頭して頭が落ちれば、『何もしないこと』の境地=ビーイング(絶対)に落ちる=ひとつになることができるんですけどね)
自分を大目に見てあげましょう!その通り、リラックスして、気楽になって、四六時中完璧でいようなどとは思わないことです。(だからこそ、何もしないことがいんじゃないでしょうか。何もしないことで、何もしない境地に落ちます。リラックス=休息=ビーイングですからね…)
それより、ハッピーでいるようにしましょう!