【不登校】
10歳のときに、右足から透明な蛇のようなもの(つちのこみたいなもの)が入ってから 修行が始まり、体調不良の毎日を送っていました。すぐに不浄悪霊に憑依され、高熱が出たり、微熱が三ヶ月続いたり、死臭の中に包まれていたり、三ヶ月断食したり・・ 学校に行きたくても行けなかったし、行きたいとも思いませんでした。朝起きるとなまりのように重い身体が 動かない。周りの人たちが 元気に歩き、走っている音や楽しそうな声を 耳で聞きながら、「どうして身体が動かないのだろう・・」とポロポロ涙を流していました。
その20年があるので、今 わたくしは 「朝起きると身体が動く」ということだけで満足。こころが満たされます。今でも 身体が動くかどうか確かめる癖は抜けないのですが・・
学校に行こうかどうか悩める、ということは わたくしのように選択肢が一つしかない人からすると羨ましいこと。そして、それは 本人の意思に任せればいいことで 周りがどうすることでもない、と思います。周りが思っている以上に 子どもたちのこころは大人で、いろんなことに敏感で、受け取っているから・・ それらを自分の力で外していくことが生きるということで、それを大人になるまでに 訓練としてやっていくこと、が大切なのだと思います。
人と同じように生きられない、わたくしはそれを受け取り、今こうして 大好きな人たちに囲まれ、仕事をしています。自由に時間を使い、神様の使いという仕事を理解してくれる人たちの中で、生きていられる、これは本当に有難いこと。今出した答え(個人の言葉)と 次の瞬間違う答え(神様の言葉)が出てくる。同一人物、と思われていたり、神様の使い、一人二役ということを理解していただけないと、非常識に見えたり、失礼極まりない人に見えたりします。事実そうなのだと思うのですが、こればかりは仕方ない。そんな役目をもって生まれたわたくしが、人間の常識に合わせて 神様の言葉を無視したら とんでもないことになるのです。わたくし自身の役目、役割を理解していただき、自分自身も受け入れる。そのために 子ども時代があるのでは?と 今 振り返り 感じます。
でも一つだけ言えることは、学校に行っていなくても、テレビ局に勤めることができ、結婚もし、仕事もし、大好きな人たちに支えられ、生きることはできる。わたくしは 「不登校の星」です。不登校にも未来はある。絶対にある。だから 人と違う人生を生きることを 恥ずかしいと思わないで。情けないと思わないで。どうか 自分自身を責めることだけはしないでほしいのです。そして 自分を大切に、生きてほしいと願うばかりです。
天宮 玲桜