訓練はなぜ流行るのか
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昨夜は秋を感じふくらい、涼しかったね。
エアコン、扇風機もいらず、もちろん網戸では、風邪引きそうでまど締めてねましたよ。
今朝も涼しかった。 20度なかったとおもいます。
久しぶりに朝から、気持ちの良いお天気です。
久しぶりに1日晴れて、お盆に使ったお布団もようやく干せてかたつけできるわ。
7時半に放送がはいり、公民館に避難するんです。
だから、朝はゆっくり寝てられません。
5時40分には起きました。
避難するだけで、何もありません。おしゃべりして、8時には、解散の避難訓練。
家事すませて、ソファーに横になると、わんこと一緒にうとうとしてしまいました。
それからは、24時間テレビみながら、くつろぎタイム。
今年は24時間テレビ何となく違う感じがします。
マラソンも、8時半まで引っ張って、なんでブルゾンなのか 😖⤵
楽しみなのは、ヒロミの24時間駅のリホームだわ。
ヒロミの器用さには
自分の家も、リホームしてるんだよね。
九月は行事か色々ありすぎるので、それまでは何もしたくなくて、体を休ませてます。
これでは、体力衰えてだめなんだけどね。
訓練のアイテムが満載です
今日で手術後7日目だ。
といっても、先週の今頃はまだ手術中だった筈。手術が終わったのは、日付がとっくに変わっていたころだったらしいから、正確には1週間経過してはいないのか。
手術の麻酔が切れて、ICUで意識が戻ったのが手術開始から28時間後だった。術後、痛み止と共に、暫くは麻酔が投与されていたらしい。意識が戻っても、かなり混濁していたと思う。両手は暫く抑制されていてピクリともせず、ワタシは必死に手首を引っこ抜こうともがいていたのを覚えている。酸素マスクをつけられて、ただ痛みと苦痛に悶えていた。
目が浮腫んで開眼せず、耳も片方なくなり、左の聴力はなくなっている。なのに、右側を下にして横になっていたため、音も聞こえず、目も見えず、話せず…まるでヘレン・ケラーのような数日間を過ごした。
そして今日、ベッドの上で座位をとる練習→立ち上り、車椅子への移乗
訓練をした。
我ながら、凄まじい回復振り!
ただ、ほぼ1週間寝たきりだったから、支えがないと立ち上がれない。左の大腿は、移植のために切除されている部分もあり、違和感がある。腹部なんて、筋肉までとられている大きな傷があるから、痛すぎる。必死に頑張るが、思うように体が動かない。何度も練習をした。汗がでる。もどかしいよね。こんな簡単で、当たり前の動作ができないなんて。
けれど、何とか手すりを掴み、車椅子への移動はゆっくりだけど、できるようになったと思う。
導尿の管も抜けたので、今日の夕からトイレに行ける!→必ずナースコールを押して、看護師を呼ぶこと。2~3日は一人で動かないように念を押された。
栄養の方はというと、現在、中心静脈栄養だ。鼠径部から心臓近くまでカテーテルが入っている。高カロリーな点滴のみが、今のワタシの栄養源。
だけど、そろそろ鼻からの経管栄養に変わるらしい。まだ暫くは、経口では栄養は取れない。
明日からは、顎間固定が始まる。→左の顎関節を切除している為、下顎がずれるのを防ぐとのこと。だから、ずっと歯は食いしばったような感じになる。
確かにね~、それじゃ口から食べ物なんかいれられない。
ところで、もう1週間以上、飲食していないのたげと、今、不思議と食べたいものがない。
食べることなんか、どうでもいいや。
ただただ早く、動き回れるようになりたい。
訓練いろいろ試したい!
私の父はとにかく厳格な人でした
特に躾に関しては
箸のあげおろしから言葉遣い、立居振舞い
一から十どころか百まで言われました
なので、子どもの頃は父の前では
いつもビクビクしていた記憶しかありません
母が陽気で明るい性格だったので
まだ救われましたが
父と二人で出かける用事があると
前の日から緊張して夜も眠れない位でした
そういう父から逃れる為
姉はサッサとイギリスに転職先を見つけ
逃げ出しました
結果、父からの集中砲火を
一身に浴びることになった私…
(最初の)結婚が決まった時
まず頭に浮かんだのは
これで父からの干渉を受けずにすむ!
防衛大を出た後
飛行教育を受け
配属された基地が
地元福岡
そして私が10歳になる年、東京へ転勤となり
私も福岡から出てきた訳です
F-15戦闘機で幹部候補生の
父の厳しさは筋金入りでした
当然と言えば当然ですね
空軍ではなく海軍戦闘機パイロットの話です
現役時代の父
最後は市ヶ谷にある
統合幕僚監部で定年を迎えました
退官式の日
家族も参列出来ますが
私は仕事の都合で休めず
姉はイギリスでしたから
母だけが参列しました
最後 正門までの沿道に
何百人と言う隊員がズラリと整列し
捧げの敬礼の中
制服姿で歩く父の姿を見た母は
その背中に惚れ惚れしたそうです
私が結婚し子どもが生まれ
初孫の可愛さに
父は180度変わりました
私が子どもの頃、笑顔を見せるのは
テストで良い点を取った時だけだったのに
孫の前での父の人相は崩れっぱなし
おもちゃは私の家用と実家用と
必ず2個同じ物を買い
父の自家用車まで
自分が運転する車に乗せる事もあるから、と
丈夫な外車に買い替えるという
ジジ馬鹿ぶりを発揮
私が育児休暇中は
殆ど毎日の様にやってきました
そんな変化した父と
やっと親子らしい冗談めいた会話も
出来るようになりました
そして、最愛の孫を17歳で亡くし
母も一昨年他界
あの威厳のあった
背筋のピンと伸びた父の大きな背中は
もうどこにもありません
いつからあんなに小さくなったのでしょう
丸くなったその背中は
たくさんのものを背負ってきたはず
次、いつ来れる?
私が実家に行くと
帰りがけにそう聞くようになりました
母の死後は更に気落ちして
友人達と
旅行や飲みに行く事も減り
家にこもる事が多くなりました
一人暮らしには広すぎる
庭の手入れもさすがにもうキツく
本を読んでいるか
庭を眺めているか…
何時迄も心配ばかりかけて
寂しい毎日を送る父に
私が何をしてあげられるのか…
親孝行と言えるような事は
何も出来ないでいますが
父にはまだまだ元気で長生きしてほしい
どんなに小さくなった背中でも
私にとって父の背中は
お守りのような存在だから…