訓練 なんだ、みんな人間のせいじゃないか。
こんにちは、こまこです
今日は飼い主、朝から忙しいというので
飼い主に代わってあたしが書くわね
…と言っても
寝転びながら失礼するわ
めちゃめちゃビビったわ…
あたしが起きるのは大体7時くらいなの
飼い主が起きて来るのが遅いと8時くらい
え?
そんな情報いらない??
( ̄◇ ̄;)がーん
ていうかこの顔怖い…
自分の顔に恐怖を覚えるなんて
次回までにもこもこになってるはずだから
許してね
じゃあ、
良い休日を
マスコミには絶対に理解できない訓練のこと
ママブロネタ「」からの投稿
小さな頃の自閉症の特性として、よく『さかさバイバイ』を耳にします。
バイバイするとき普通は手のひらを外側に向けるけど、
自閉症の子は
自分側に手のひらを向けてバイバイをする。(らしい)
我が子も。。。
我が子は。。。
すいません。
覚えてねー!!!!!!ほ、本当に記憶にごさいません。
娘たちが小さい頃は自閉症の特性とか、発達障がいの特徴とか全く気にした事無かったので。(まさか我が子が発達障がいとは思わなくて)
2人はもう6歳と4歳。
今のところ、さすがにさかさバイバイの兆候はありません。(逆さピースはたまにあります)
が!コレ。。。
あぶねっつーの!!!何度教えてもだめ。(でした)
一時的には治るけど、どうしてもさかさ(自分に向けて)でハサミを使います。
うちだけですかね?
と、幼稚園の先生に聞いたら
『けっこういましたよ、最初の頃は。』とのこと。
ちなみに長女もそうでした。
(長女の時もなんども教えて直した記憶があります。)
ただ、長女よりも変に特性が強いよりこ。
厄介…
矯正するのは至難の業!!
ただいま
訓練中です。
公文の切り絵ドリルで
遊びの一環というのがポイントです。
楽しみながらです。
嫌な時、気分が乗らない時は無理矢理にはさせません。←ここ重要
先生から聞いた教え方のアイディアがよりこには結構良い感じで、
(3割は逆さにします。)
で、今日、
奇跡か偶然か、最初から最後まで30分くらい上手に使えてました!
方法はまた改めて書きたいと思います!
いつも一気に書けなくてすみません(´Д` )眠い…
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なぜか訓練がNYCで大ブーム
わたしは保育士資格をもっています
でも、卒業してからは
保育士としてではなく
ちがう職種の仕事をしています
理由はひとつではありませんが
その中のひとつに
子どもが産まれたら
旦那さんと一緒に
初めての子育てを経験したい
できるだけ同じ目線で
いっしょに考えながら、模索しながら
育てていきたいな
と思っていたから
というものがあります
保育士をするなら
自分の子どもがある程度手が離れてから、
そういう気持ちがありました
わたしが保育士になりたい
そう思ったのは弟がきっかけです
5歳下の弟は
知的障がいがあります
天使のようにかわいい弟でしたが
生まれながらにハンデをもっていました
月日が経つにつれ
まわりの子とできることに差がみえはじめ
わたしも幼いながらに
不安におもっていたのを覚えています
そんな弟が保育園に通うことが決まり
私もよく母といっしょに迎えに行き
行事に参加したり
連絡帳をみたりしていました
そこの保育園の先生のあたたかさに
弟を受け容れてくれたことに
当時4年生だったわたしは
心から安堵したことを覚えています
家では甘えてしまったり
わたしたち家族も手を貸してしまったり
つい甘やかしてしまったりして
やらなかったこと、できなかったことも
周りのお友達に触発されて
一生懸命にとりくんだり、
できることがふえる
そんな姿をみていると
子どもながらに
その環境や弟に優しくしてくれるお友達
保育士の先生方に
感謝の気持ちでいっぱいになりました
わたしが小学6年生になる年に
弟は小学1年生になります
わたしが通う小学校には当時
特別支援学級はありませんでした
でも母が教育長さんにお願いをしたり
学校側にお願いをしたり
姉であるわたしがいることもあって
特別支援学級を
つくっていただけることになったのです
わたしが守らなきゃ。
そうおもいました
集団登校で通う通学路
小さな体に大きなランドセルを背負って
歩かなくなってしまう弟。
他の子には先にいってもらい
自分のランドセルを前にもって
弟をおぶって連れていくこともありました
歩いているときに
涙がでてしまうこともありました
学校に着いてからは
弟がいじわるされないか心配でした
でも学校ですれちがったり
学級をのぞいて私にきづくと
「おねえちゃん!」
そうニコニコ笑う弟をみては安心しました
幸い、弟の特別支援学級の先生は
本当に素敵な素敵な先生で
優しく、あたたかく、
だけど甘やかすわけではなく
弟の可能性を信じ
のばそうとしてくれる、そんな
とても信頼できる方に出会えました
わたしの小学校最後の一年間
悲しいことも辛いこともありましたが
弟のために力を貸してくれた
たくさんの人たちのことを考えると
かなしい、とか
辛いなんて言えなかったです
苦しいときもありました
でもそれ以上に
同じ学校に通えたこと
多くの人が弟を可愛がり、力を貸してくれたこと
とてもとてもうれしかったです
わたしが中学生になると
障がいがある弟を友だちにどう思われるか
嫌なことを言われるんじゃないか
そんな気持ちや不安から
弟をかくしたくなることもありました
そのたびに弟に
ごめんね、と申し訳なくおもい
心が痛みました
でも、
嫌なことがなかったわけではありませんが
わたしが思っている以上に
わたしの周りの人たちは弟を
あたたかく受けいれてくれる人ばかりでした
だんちゃんもそうです
とても感謝しています。
弟の言葉は、純粋でまっすぐ
人の表情や雰囲気に敏感なところもあります
わたしが上京してからの帰省で
当時中学生の弟と
犬の散歩に行くことがありました
学生のわたしはその時
アルバイトをしながら
自分の問題と向き合う生活に悩んでいたので
ふと
「お姉ちゃんどうしたらいいかなぁー」
といったら
「おねえちゃんどうしたの?」
「大丈夫だよ、おねえちゃんはぼくが守るから」
と言ってわたしの背中をなでてくれたのです
そんなことを
弟が言ってくれると思ってもいませんでした
わたしはよく勘ぐったりしてしまうけど
弟は、建前とかお世辞とか
そういうことは言わないから
自然とでてきたその言葉を
まっすぐに受けとることができて
その言葉に救われました
いつしかこんなに
逞しくなっていたんだね
うれしくて涙がでました
弟は無事に小学校を卒業しました
学年があがることに
周りとの差は大きくなっていき
中学校、高校は養護学校に通いました
わずかながらお給料をいただいています
日常生活で何か手を貸す必要は
ほとんどありませんが、
自立にはほど遠く
両親に甘えてしまっている部分も多いです
両親は、とくに母は
生まれてきた子どもに障がいがあると知り
自分を責めたでしょう
わたしが幼稚園のとき、
わたしと兄の前では出さなかったものの
母が泣いていたのに気づいていました
母は、弟の障がいがわかり
父の両親に泣いて謝ったことがある
自分の実家でたくさん泣いた
今でも自分を責めることがある
これからのことを不安に思うことがある
とも言っていました
だからか母は
「わたしが子どもを授かるには不妊治療をするしかない」
そう話したとき
障がいをもって生まれる確率が上がるんじゃないか
と心配していました
そして、
だんちゃんが自分を責めてしまう気持ちがわかる
そう言っていました
わたしは弟を育てたわけではないです
でも小学校低学年のときから
母といっしょに
障がいをもつ子どもの集まりや
支援してくれるところ?
に何度も行っていたので
障がいをもっている子ども、大人と
少なからず関わることがありました
そういう場の中では
弟の障がいはそこまで重い方では
なかったように思います
身体が不自由だったり
寝たきりだったり
自閉症、ダウン症、様々なハンデを
もっている人たち
そしてその家族をみてきました
わたしもその家族のひとりです
いまは、出生前診断などで
生まれてくる前に
胎児の染色体異常がわかったりしますよね
その結果に悩んだり
夫婦の意見がわかれたりすることに
周りの理解を得られないことに
苦しんでいる方も
たくさんいるとききました
保育士になるまでの実習で
児童養護施設に数週間通いましたが
その中には
障がいがあるからという理由で
施設に預けられている子どももたくさんいました
生まれてくる前に障がいがわかったら
どうしたらいいか
私が何か言えることではないです
障がいの度合い
家族の協力
まわりの協力
環境
様々なタイミング
それは本当に人それぞれですし
育てる側の苦悩や辛さは
計り知れないとおもいます
将来の不安も大きい
わたしも
両親がもっと歳をとったらと考えるとき
必ず同時に弟のことも考えます
できるのであれば
健康で、元気で生まれてきてほしい
それはみんなが願っていること
でも
元気で、健康で生まれてきてくれても
途中で何か障がいをかかえてしまうことも
あるかもしれないし
今日、健康でも
これからも健康とは限らない。
出生前診断
結局は、
まわりがどうこう言えることではなくて
そのご夫婦がどうしたいかなのだと思いますが
生まれてみないと
育ててみないとわからないから
むずかしい問題ですよね
母は、
もし生まれてくる前にわかったら
どうしたでしょうか
父は、どう思ったのでしょうか
弟が生まれている今、
生まれる前にわかったら?ときかれても
そのときのことなど
もうわからないですよね
もちろん、可愛いだけではなかった
同じことを何回も何回も伝えても
やっぱりわからなかったり、
小学生になっても場所も構わず大泣きしたり
子どものときは、
弟に振り回されるのが
いやだったこともあります
でもわたしは
弟が生まれてこなければよかったと
思ったことはありません
弟が生まれてきてくれてよかった、と
心からおもっています
(弟が生まれたときは
妹がよかった
と泣きましたが笑)
このような環境で育ってきたからか
もしわたしに子どもができて
出生前検査で異常がわかったら
産みます!
そう即答できるのか
考えたことがあります
だんちゃんと話したこともあります
生まれてきたあと
子どもに障がいがあるとわかったら
育てることに迷いはない
なのに、不思議ですね
やはり迷うのです
それは
自分たちだけの問題じゃないから
家族や、生まれてくる子ども自身
自分たちが側にいられなくなったら、
そのことも考えてしまうから
弟は、今や髭も生え
見た目は天使とは言えないけれど(笑)
わたしたち家族を
いつも真ん中でつないでいてくれたのは
間違いなく弟です
たくさんの優しい気持ちを
弟が教えてくれたように思います
障がいをもつ子どもが大人が
そのご家族が
もっと生きやすい、
まわりに力をかりやすい世の中になることを
障がいをもつ子どもとわかっても
産む決意をしやすい制度や支援が
できていくこと、
増えていくことを願っています